2017年05月18日

リイシュー準備中

さて、前回ご紹介した「デッドリイ・ドライブ」のリイシュー作品が発売を待つのみになり、あとはプロモーションをこなす日々となりました。

と言う事で次回作の選定の準備に掛かっています。
今回のリイシューに関しては当時発売されたアナログにボーナストラックを入れ、紙ジャケ、リマスタリングの再発になる予定。
すんなり未収録のシングルや企画物に収録されたアルバム未収録音源があれば良いのですが、そもそも無かったり、時期がずれてたりと一筋縄ではいきません!
また、マニアの方がWEB上で諸々分析していてくれるととても助かるのですが、全くWEB上に情報がなかったり、シングル盤が違うヴァージョンで収録されているか?とかをチェックするのは並大抵の事ではありません。
同時期にそのアーティストにハマっていたならともかく、当時は大した情報もなく雑誌だけが頼りでまともな情報を一般人が安々と手に入れることは出来ませんでした。

では準備している概要を分からないよう(笑)に羅列します。

※Aレコード
80年代の某アーティスト1stと2ndアルバム。どちらもボーナストラック収録で2ndに関しては初CD化です。今も現役。
※Bレコード
5枚のアルバムを出してるように見えますが、実は2ndと思われてるアルバムは1stとのタイムラグとタイアップ、そして路線変更のため1stの曲を半分使用し新曲6曲入れた変則的なリリースになっているので、その1stと2ndを2in1にして残り3枚のアルバムを復刻し全4作品を準備中。
※Cレコード
以前再発した2枚に続き3枚を新たにボーナストラックを入れてリリース。
初CD化の3アーティストと再発売だがボーナストラック入れる1アーティスト。
※Dレコード
78年に相次いでリリースした2枚のアルバムを2in1にしてリリース。

てな感じで全て女性ヴォーカルで準備をしています。

決まりましたらお知らせ致します!
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2017年04月19日

リイシューのお仕事

1年以上ぶりのご無沙汰です。

一昨年よりライフワークの一つとして70年代の音楽を出来る限り露出出来ればと言う事をしています。
現代の音楽に付いていけないというのもありますが、良いものが忘れられていくのも淋しいものです。

98年以来音楽業界は右肩下がりで、レコード会社ももうすでにその役目を失いつつあります。
カタログ商品は特に売上が大きく望めない上に、売れなくなってる速度が半端ないらしいです。
そうなると、リリースするにはリスクが大きいと判断されどんどん製造中止の作品が増えていきます。
(製造中止は体のいい廃盤と言うことです、廃盤にすると返品を無条件で受け入れなければならないからです)

ということに乗じて、その中でもまだまだセールスが見込める作品をピックアップして再発売させるのお手伝いしています。

皮切りは昨年12月に再発売した鈴木慶一とムーンライダースの「火の玉ボーイ」で次は今年2月に石川セリの「ときどき私は・・・」、「SERI FIRST LIVE」の2枚でした。

そして5月24日に伊藤銀次「デッドリイドライブ」をリリースします。
昨年、1977年は何がリリースされているんだろうと調べていて、色々と良い作品があるなぁと作品ごとにチェックしていたら
入手できない良い作品がたくさんあるなぁと思ったのがキッカケです。

その中でこの「デッドリイドライブ」は絶対にいつでも買える状態にしておかなければならない1枚としてピックアップしました。このアルバムは決してセールス的に成功した作品ではありませんので、名盤と言う訳ではないのです!でも歌謡曲全盛の時代からニューミュージック(新歌謡曲)が世間に認知されるちょうど過渡期に燦然と輝く内容でリリースされていた事が重要なのです。その証拠に90年代以降再評価され何度も再発されるという稀有な作品なのです。
さて、このアルバムは2008年に30周年記念にボートラ入り紙ジャケで限定生産にて再発されており、中古価格でも高騰している1枚でしたので、早々にレコード会社に調査してもらい、企画を考えました。
単純な再発なら2008年版のプラケでの再発が手っ取り早いのですが、折角40周年なので何か出来ないかと思い、当時のマルチテープの保管状況を確認した所ちゃんと保管されているとの連絡があり、だったら中身確認してやれることたくさん有りそうと思った次第あります。

旧譜再発の一番のネックはコストを掛けられない事なのですが、売上が伴えば多少の予算は出てくるのでその辺りを吟味して企画を立て無事にリリースに漕ぎ着けることが出来たわけです。

内容については各音楽サイトにてすでにニュースとしてリリースされてますので、それを参考としてください。
まだブックレットの入稿が終わってないですが・・・。

さて次は何を再発しようかなと思案中です。
80年代にも手を伸ばすつもりです!

ではまた
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2016年02月06日

最近の事

ここ最近昔のライブ音源のアーカイヴの仕事をしてる。
何年前か書くと色々問題があるので書かないが、当時の素晴らしい音源をたっぷり聴かせてもらい、20歳前後の今も活躍する彼らの若き芽吹きに感動してます。
ちゃんと録音されてるので音も素晴らしいのがこの音源の価値が有る所なのだ。
もちろん、きちんとアーカイヴ出来る作品、そして「そんなものリリース出来ない」という作品もあり苦労している。
リリースしたくない理由はいくつかあるのだが、もちろん出来が悪いってのが理由の大きな一つではあるが、男女の関係がその後崩れてるとかってのもある(笑)
またもう一つ大きな理由として当時の関係者やバックミュージシャンとの連絡がつかないってのもある。
これはもう探すしか無いので地道に動きまわるしか無い。

今年後半を目指してなんとか世の中に出せればと思ってます!


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2015年06月23日

有給消化中

5月に出した退職願は無事受理され今月いっぱいで退職することになったので表題の通り有給消化中。

次も決まっちゃいないのにさっさと辞めちゃったんだが、体の具合も良くなかったんで辞めるのを優先した。
まぁ体調悪いのは退職願を出したあとからかなり復調して来たけどね!
体は正直なのよ・・・(そんな歌詞あったな)

というわけでまたこの年で就活します。
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2015年02月04日

ちなみに

なんとか社員としてそこそこの給料もらって生きてます。
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と言うことで久々だが予定通り相続放棄の話。

死後程なくして世田谷区役所より、未納の税金の支払催促が母のところに来た。
金額は100万弱。

これが負の遺産ってことだ。

さてどうしようとネットで調べると相続放棄について書いてあることが山ほど出てくる。
まず債権者は母、俺、弟の順その次は祖母、父の弟の順番。
手続きは家庭裁判所にて済ませて、意外なほど簡単に(面倒くさいけど)済んだのだが、次に祖母が引き継ぐ訳だが、これがまた厄介で痴呆症で判別付かないから父(息子)の死を認識できない訳で、説明によると成年後見人をつけて書類を作成し放棄するしかないらしい。
ただし、家庭裁判所の方がとりあえず認識しない場合は相続放棄が止まるのでそのままで良いですよとのこと、それを信じて放置中。
だったのだが、なんと2015年1月19日に100歳で逝去。
これでおじさん(父の弟)が相続を受け継いでしまうことになった・・・。
手続き手伝ってあげないと!

と言う事で次回は内縁の妻についてたっぷり書きます。

posted by cozy at 18:53| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

超久しぶりに書いてみるけど・・・

4月に父親が79歳で死んだ。
さて家族内で死者が出るのが初めてなので色々と経験してみた。

父は1990年に母親と別居しており、それ以来世田谷で暮らしていた。
死んだのは渋谷区で一緒に生活していた女性宅。
苦しいと言って2分で絶命したらしい。幸せな最期だったなぁと思う。

夜中に電話があったようなのだが、2台持ちのサブ携帯に留守電が入っていた。
翌朝弟から電話があり死亡を知るも動揺も喪失感もなし。
やはり79歳と言う平均寿命であった事や実にドライな親子関係もあるのだろう。

午後に病院に向かい死に顔も見たが穏やかな顔をしていた。

さて手続きを色々と。
一応不審死と言うことで簡単な検死があるも、何の問題もなく虚血性心不全で決着。
運ばれた病院で、葬儀屋(常駐)に死後やらなければ成らないことを一から教えてもらったが、教え通りに死亡届は住民票のある世田谷に届けに行って違いますよと指摘された。まぁ受理はしてもらい死亡証明書は受け取ることができたのだが、良いじゃん世田谷でも。
死亡した自治体に死亡届は出すそうです。

お通夜も葬式もしないで密葬したのだが、ドライアイス代は1日1万位、保管代も1万位係ると言われた。
元々、うちは宗派もないし、父も仕事を引退して24年も経つので現役感はないので密葬から納骨で進めた、最近はそういうパターンが多いらしい。お金もかかるしね。

落合斎場で焼いたのだが、金額的には遺体保管料も含め30万ほど。

さてお墓なのだが、父の父が多摩に持っていたのでそこに納骨をするのだが、そもそも墓主である父はどう管理していたのかさっぱり分からずで一苦労。結局、お墓を2個も管理してた(父の母の妹が所有して手放したもの)事も発覚。でもこのお墓は俺と弟しか管理できないから、あと30年以内には誰も管理出来ず無くなってしまうのだろう。そんなものなんだな・・・

ということで年内は喪に服すのが一般的なのですが、変わらず普通に生活します(笑)

気が向いたら父の死で面倒くさかった相続放棄の話を次回書いてみます。
posted by cozy at 11:47| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

競馬会春の陣2013

今年の前半戦は見事に1位を奪還!宝塚記念を見事に本線で3連単をゲット!400円差で迎えた最終戦で見事に逃げ切ったぜい!
夕飯1回奢ってもらいます。
posted by cozy at 21:06| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月06日

極々私的音楽考察 その1

98年以来音楽業界は右肩下がりを続けている。延びなくてもいいからそこそこ楽しく音楽人生、音楽生活が送れればと思っていたのだが・・・

さてここまで右肩下がりをしているのは何でなのだろう?と考える時もある。

音楽業界、特にレコード会社とレコ屋はずーーーっと持ちつ持たれつで業界を支えて来たことは事実である。
しかしこの慣れ合いが大きく人の音楽感を崩壊させたのも事実である。
レコード屋が自分の意志や音楽感を持たずにレコード会社の言いなりに売っていたのも事実である。
そうでないレコ屋もあるにはある(その代表は武蔵小山のペット・サウンズ・レコードかな)

昨今、パパ・ママショプと呼ばれる町のレコード屋さんが次々と消えていっている(http://d.hatena.ne.jp/cd-open-close/)重々承知だが10坪とか20坪の店を維持するのは大変だろうと思う。
 俺も最初の頃はそんなレコード屋さんで買い物をしていたのだ。
小学校6年の時に自分のお金で初めて買ったシングル盤は桜田淳子のセカンドシングル「天使の初恋」だ(笑)花の中3トリオでは桜田淳子が大のお気に入り!この時同時にデビューシングルをクラスの女の子に買ってもらったので2枚同時購入だった。
買ったの浦和駅東口にあったMINEと言う6畳くらいのレコード屋さん。この時は殆どレコード屋に対して何も考えてなかった。でも1枚買うと10%の割引券をくれるので、ある程度リピーターになっていたのは確かだし、店主がとても良い人で良く話をして買ったものだ。あまり覚えていないが、MINEでは上田知華+KARYOBINの4枚目(80年)のアルバムやレインボーの「虹を翔る覇者」(76年)なんかもリアルタイムで買った。
さて音楽自体を真剣に聴きだしたのは小5の時のお年玉で買ったナショナルのラジカセを手に入れてからだ。
もちろん、家の茶の間では歌謡番組を家族で観る習慣があり、かなり大きめなステレオ(レシーバーにターンテーブル)も所有していた。家にあったレコードは「帰って来たヨッパライ」とか「東京モナムール」とかポール・モーリア、ニニ・ロッソ、パーシー・フェイスなど割りと支離滅裂だったが良く聴かされてたので各々思い入れはある。
そしてこの時代ありがちな自分所有のラジカセで御多分にもれず内蔵マイクで番組を録音したものだ。
その後すぐにLINE録りを学ぶのだが・・・
そんなこんなで中学生になり日曜日にやってたTVジョッキーで流れるEDWINのCMのBeatles「She Loves You」で衝撃を受け、コンパクトシングル(4曲入り)を購入した辺りから洋楽へ傾倒していくことになる。多分その前にCarpentersを知っていた。
洋楽を聴きだすとMINEというパパ・ママショップでは満足出来なくなり、浦和駅西口にあるMINEの20倍くらい大きな柏屋楽器に通うようになったのだ。そうそう、中村雅俊さんの奥様の五十嵐淳子さんの実家も浦和駅西口で和合レコードってお店をやっていてそこでもたまに買っていた。そこのレコード屋の特徴はポスターをパネルにしてくれる事(もちろん有料)Linda Ronstadtのポスターをパネルにしてもらったっけ!ユーミンの14番目の月のディスプレイが印象に残ってる。

そう、何が言いたいかというと、パパ・ママショップは狭いからカタログを売るのではなく新譜を売って回転させて儲けるというビジネスモデルなのだ。レコード会社はこういうお店を特約店契約し如何に儲けさせるかを考えた結果毎週のように新譜を出し、次々と売ると言う新譜至上主義のビジネスモデルを確立していったのである。だから宣伝も1ヶ月単位と短く、ヒットしなかったらどんなに素晴らしい作品だろうとも旧譜と言うカテゴリーに移してしまい、プロモーションも止めてしまい、次の新たな作品を売るのだ。昔は3ヶ月に1枚のシングルを出して、1年に1枚、下手すりゃ3ヶ月1枚のペースでアルバムをリリースするアーティストも沢山存在した。
音楽を売るということより、今売れるものを今売るビジネスモデルを確立してしまったのだ。まぁレコード会社、レコ屋、お互い願ったり叶ったりだったんだと思う。
なので、ラジオやテレビもヒット曲中心の番組になり、どれを聴いてもツマラナイモノと化していくのである。だから俺もNHK-FMを聴くようになり、AMはFENばっかりになっていったのだ。
洋楽はこの当時海外の2ヶ月遅れ位で国内盤が発売されるのが普通だったから、必然的に俺は輸入レコ屋に行くようになった。当時では西新宿のDISCROADやOMとかブート専門店KINNIEとか、渋谷や新宿に在ったCISCO、Kittyレコードがやっていた吉祥寺のROCKINN?だったか、ただ俺が住んでいた浦和にはな・な・なんとBUS STOP(のちにNew Bus Stop)という輸入盤屋がありそこへは週に2回は最低でも通っていたもんだ(ビニールバッグが鯨の絵)
たまに国内盤を買うのは柏屋楽器か秋葉原まで行って石丸電気で買うようになった。石丸電気は当時から別格の品揃えで廃盤商品もちゃんと廃盤タグを付けて購買意欲をソソる売り方をしてたもんだ。あとはオマケの楽しみかな?ポスターだったり内袋だったり、もちろん10%の割引券は当たり前である。

と言うわけで、音楽を知れば知るほどパパ・ママショップの存在は自分の中では無くなっていくのである。
俺にとっては要するに金太郎飴的な面白味のないレコ屋って事。
とは言え、普通の人はレコード会社の戦略通り、テレビやラジオでプロモーションされる曲をパパ・ママショップで買うのである。
でも普通の客はそれで満足だし、十分だったに違いない。
それが当たり前で、自分はやはり少しのめりこんでいた部類だったのは確かである。

さて、そんな俺はと言えば、中学の同級生でニューミュージックマガジン(今のミュージック・マガジン)を読んでいたのはクラスでたったの二人。ロッキング・オンは72年に創刊されていて読んではいたが、そんなに影響力のある雑誌では無かったような気もする(失礼)ただ、最後の方のページに友の会ってのがあって、はがきを出すと住所と名前と音楽趣味を載せてくれるところがあり俺も掲載してもらった。後にロッキング・オンの人たちと食事した時この話をしたら、大笑いされたが、渋谷さんには「ホラ見ろ」と得意げな様子で擁護してもらった(爆)実はこのお陰で当時中学生にも関わらず、大学生の人達に混じって32ミリフィルムの無料上映会を開いていたのだ。まだプロモーションビデオが殆ど無かった時代に数少ないPVをレコード会社に借りに行ってさ。パッセンジャーなんて名前をつけて、公共の無料で貸してくれる部屋を借りて、32ミリの再生機と操作出来る人を自分達の持ち出しで雇って音楽を広めるんだなんてさ。この時の大学生の人達にはアナログを貸してもらったりもした。この仲間たちとは1年ちょっと活動して解散したんだが、最後に埼玉会館小ホールを借りてストーンズの『ギミー・シェルター』の有料ビデオコンサートを開催して解散したのだ。ロッキング・オンを介して集まったので解説として渋谷陽一さんに解説をお願いしたんだが、断られて松村雄策さんに来てもらったのだが、プロレスの話を喋って帰って行ったというある意味伝説の解説をしてもらった微かな記憶がある。
定期購読としてはもちろん!MUSIC LIFEも買っていました。

さてさて、良い音楽に出会うと、その周辺や以前はどうだったかを知りたくなる、もちろんプロデューサーだったり、参加ミュージシャンだったり、レコーディングスタジオだったりと。当時はネットなんてなかったので、本かラジオかレコード屋で現物を見るしかなく、ニュースも基本ラジオが早いのでラジオを聴きまくる。ただし、最新ニュースしかないので過去作品についてはとにかく買ってみるか、NHK−FMで掛かるのを待つしかない。特にサウンド・ストリートと19時15分からやってた46分テープを裏返してバッチリ録音できる番組がベスト・アルバム的選曲だったり新譜を殆ど丸ごと掛ける内容で放送していたのを必死でエアチェックしまくるのだ。

この時からすでに良い音楽を売るという姿勢は業界にはほぼ無かったんだと思う。また過去作品を積極的に掛ける番組もラジオ、テレビともに殆ど存在しなかったと思う。それは今も昔も変わらない。 

そして俺的に今持って最も不満だったのが小学校の音楽授業である。あんなつまらない授業で良くこんな音楽好きが育ったと思うよ。
音楽と言ってもクラシックが中心なのだが、なんで全く興味が沸かないような教え方だったんだろうか?クラシックはつまらないものだと言う教育しかされてないよ。テストなんて酷いもんで、わからないものだからこの曲はなんですか?の答えに「ウルトラマン」とか書いて怒られてたのは俺です。もっと楽しく教えて貰いたかったな!余談だが、中学2年の時の英語の先生はStevie Wonderの「You're The Sunshine Of My Life」の歌詞で教えてくれたよ!と言ってもこの曲知ってたのは俺だけだった(一応メロを歌ったんだ)

という訳で、日本での音楽を取り巻く環境が悪過ぎて、音楽を聴くと言うことが素晴らしいことというよりか、ヒット曲を聴くという方向で世の中は支配されていると言う事が、根本的に音楽が衰退してしまった事に尽きると言いたかったわけです。ヒット曲を聴かなくなると売れなくなる訳で、昔は数字だけはミリオンを売っていたが、現状の購買層イコール本当の音楽ファンの人数なのではないかと思います。

第1弾はこれでおしまい。

posted by cozy at 22:27| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | MUSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月28日

小学校〜

記憶は曖昧。

最初に入学した小学校は港区立港南小学校。
主に俺が住んいた団地と品川埠頭に住んでいる人たちが対象の小学校なので、各学年2クラスしかない小さい小学校である。
特に首都高沿いにあること、羽田空港に近く当時は真上を離着陸の飛行機が飛ぶという日本一騒音が酷い小学校としてテレビで何度も取り上げられてた学校でもある。
まぁそのために二重窓を完備し冷暖房を備えたかなり贅沢な小学校ではあった。
校庭はアスファルトで隣に港区のグランドがあり運動会はグランドを借りていた、団地の運動会もこのグランドを使っていた。グーグルマップでみると今もある。

1、2年の担任は角田先生。先生の顔は覚えているがこの2年間はあまり記憶が無い。特にトピックスもなかったのだろう。
このころの楽しみは母親が青山まで習い事(確か編み機)があったのでそれに付いて行って習い事の時間おとなしくしているとサンダーバードのプラモデルを1個買ってくれるのだ、多分当時で100円くらいだったと思うが、これでどんだけ揃えたことか!

3,4年の担任は金子先生。毎日終礼で由紀さおりの「手紙」を歌わされた記憶が鮮明に残っている。あとは確か4年の時だが三島由紀夫の「潮騒」を読んでいて、先生に呼び出されなんでその本を読んでいるのか聞かれて、その後母親がまだ早いと先生から注意された記憶がある。父親が大手出版社勤務だったので、その手の本が沢山家にあったので内容も分からず読んでいたようだ。山口百恵がその後映画化したっけな。
この先生は色々と記憶に残る良い先生だったなぁと。いつも赤いジャージを履いていたような・・・。

4年生になった頃から2つの習い事を始めた。とは言え野球に関しては少年野球部に1年の頃から通っていたはず。それ以外の習い事に関してはなぜか拒否していた自分がいたのだが、以下の2つに関してはやってみようと思ったみたいだ。一つは水泳。水泳は上野毛にあるアメリカンスクールのプールを借りていた「わかば」というスイミングクラブ、毎週1回大井町経由で一人で通っていた。特にスパルタな感じでなく、延々と泳がされた記憶、大体7キロくらいだったか?あとはアメリカンスクールの立派な設備に感心してた。プールも50メートルプールで大きく、上からガラス張りの観覧席があったり、バスケットボール専用体育館とか、日本ではありえないスケールだったことを思い出す。同級生の小坂君も通っていたが同じ日ではなかった。小坂君は俺と同じ19号館で306号室位に住んでいたんじゃないか?でもクラスが違ったと思うんでそれほど仲が良かった様な記憶はない。

もう一つの英会話は、父親がこれからは国際社会だから英語くらいやっていた方がいいぞと言われてその気になったんだと思う(笑)新宿の厚生年金会館の裏に習いに行っていた。20人くらいのクラスで会話中心の子供クラスって感じ。まぁ何が楽しいかって、毎週水曜のに一人で品川から新宿まで電車に乗って、新宿の地下街を歩いて厚生年金まで行くのが最高に楽しかった。毎回100円のお小遣いを貰うのだが、それで中村屋の肉まんを食べるか、伊勢丹の切手売り場へ行って切手を買うか悩むのが楽しみだったのだ。この英会話1年以上通ったのだが、さっぱりだったのは言うまでもない。覚えているのはバナーナと発音することくらいか(笑)この時に男子生徒がババーナといってクラスが大爆笑したことくらい。先生の名前も覚えていないです。金髪のおばちゃんだったしwww先生が若くて金髪で青い目だったらどんだけ英語が上達してたんだろうと今は思う(嘘)

 実は最近思い出したのだが、俺のコレクター人生を決定付けた出来事があった!母親にウルトラセブンのソノシート付き本を買ってもらったのだが、その後あまり日をおかず祖母にもまた違うウルトラセブンのソノシート付き本を買ってもらったのだ、実はあんまり違いのない本であったが、決定的に違うことがあったので俺は買ってもらった。それは何かというとソノシートの色が違うのだ!「赤」と「青」こんなにはっきりと違いが分かるのだが、実は内容は同じ。母親からしてみれば赤だろうが青だろうが内容が同じなら同じものなんだけど、俺は必死に赤と青の違いを認めてもらいたかったが最後までその違いを認められず、相当怒られた記憶がある。

つづく
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2013年02月25日

生誕〜

記憶にある半生を記す。

1,生誕

手元に母子手帳がある。
昭和37年3月28日水曜日午前2時15分
在胎月数 11ヶ月
加藤医院にて生まれる。 
4月9日に出生届が受理されていた。

豊島区駒込3丁目に住んでいたようだ。

全く記憶も無ければ聞いたこともない事実・・・
文京区に住んでいたのかと思ったw

本籍が文京区本駒込3丁目だから勘違いだったのか?

長男の初孫ということでたいそう可愛がられたと聞いたことがある。

さて記憶が出てくるのは幼稚園時代になるのだが、すでに駒込からは引越して港区港南の都営団地に移っている。
この団地は品川駅から徒歩10分くらい埠頭方面に歩いたところにある20号館まである結構大きい団地だった。
だったと言うのは、この団地今から10年ほど前に建て替えられており、昔の面影は全くない高層マンション群に変わってしまっている。
残る面影は小学校と中学校だけである。
この団地の19号館の312号室に住んでいた。19号館と20号館だけメゾネット式になっていて1階が6畳のダイニングと6畳のリヴィング、2階に6畳と3畳の和室という作りで風呂はない。風呂は団地内にお風呂屋さん(20号館の下)にあった。ちなみに19号館と20号館の1階部分はすべて店舗になっており医者、お菓子屋、乾物屋などになっていた。

この団地の中に保育園もあったのだが、芝浦幼稚園に通園。
この幼稚園は田町駅に併設されている芝浦小学校の中にあった幼稚園である。
なので都営バスを使って毎日通園していたのだ、当時のバス代は15円!(大人は30円)年少時代は母親が付き添っていたが年長からは一人で通園していた、もちろん同じ団地の同級生が居たのだがほとんど一人で通園していたと思う。

幼稚園の記憶は年長の時の学芸会で演じた笠地蔵のおじいさん役、主役ですよ!どうやってセリフを覚えたのかは全く記憶はないが、
ちゃんと出来て褒められた。年少時代は演目さえ覚えていないが、雀の役で茶色のタイツを履いていたのを覚えている。
おばあさん役の○がね○えちゃんはどうしてるかなぁ?・・・・運河のそばで定食屋をやっていたような微かな記憶。
細かい記憶はあまり無いのだが、同じ団地の友達だった大井くんとスカートめくりして怒られたやんちゃな記憶はハッキリ覚えてます!キリッ。

つづく
posted by cozy at 08:52| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月13日

Wミリオンってたったのこれだけ。

1 453.6万枚 【およげ!たいやきくん】 子門真人 1975/12
2 325.6万枚 【女のみち】 宮史郎とぴんからトリオ 1972/5
3 293.6万枚 【TSUNAMI】 サザンオールスターズ 2000/1
4 291万枚 【だんご3兄弟】 速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団 1999/3
5 289万枚 【君がいるだけで】 米米CLUB 1992/5
6 282万枚 【SAY YES】 CHAGE&ASKA 1991/7
7 276万枚 【Tomorrow never knows】 Mr.Children 1994/11
8 258万枚 【Oh!Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に】 小田和正 1991/2
9 258万枚 【世界に一つだけの花】 SMAP 2003/3
10 248万枚 【LOVE LOVE LOVE/嵐が来る】 DREAMS COME TRUE 1995/7
11 241万枚 【YAH YAH YAH】 CHAGE&ASKA 1993/3
12 230万枚 【名もなき詩】 Mr.Children 1996/2
13 229万枚 【桜坂】 福山雅治 2000/4
14 229万枚 【CAN YOU CELEBRATE?】 安室奈美恵 1997/2
15 228万枚 【DEPARTURES】 globe 1996/1
16 223万枚 【黒ネコのタンゴ】 皆川おさむ 1969/10
17 213万枚 【WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント】 H Jungle With t 1995/3
18 207万枚 【恋の季節】 ピンキーとキラーズ 1968/7
19 206万枚 【Automatic/time will tell】 宇多田ヒカル 1998/12
20 202万枚 【TRUE LOVE】 藤井フミヤ 1993/11
21 202万枚 【恋しさと せつなさと 心強さと】 篠原涼子 with t.komuro 1994/7
22 202万枚 【愛のままに わがままに 僕は君だけを傷つけない】 B'z 1993/3
23 201万枚 【愛は勝つ】 KAN 1990/9
24 200万枚認定  【真夏のSounds good!】 AKB48 2012/5
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2012年08月13日

ご無沙汰です

久々にログインしたらすっかり変わってて驚いた!

さて三宿に引っ越したんです!
なかなかよろしいところですな!
初の1階ということで家庭菜園なんかしちゃってます。

というわけで、今度自伝をここに綴ろうかと思っています。

すでに半世紀も生きてしまったので区切りをつけるのもいいかと思っては居るものの、暇なく出来ずって感じですかねw

まぁ子供の頃のことはあんまり覚えてないしななんて言い訳を考えてる事自体いかんですな。

期待しないで待ってて下さい。
ただし詳細は書けないので)どうしようかとも思ってます。
あと女性関係も書けないなと(笑)
posted by cozy at 21:43| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月06日

アイデア

20年来の知り合いで、バンド解散後も応援していた某ミュージシャンにTwitterのDMをした。
iPodで聴いていたアルバムでピンと閃いたのだ。彼は七年振りに解散していたバンドを今年再結成すると発表。だったらこのアイデアは使えると思った。まずお金が掛からないのが1番、豊富な素材が二つ目の利点、そして何より自らが知り尽くしていると言う事。
DM飛ばしたら早速返事があり、再結成後に契約するレコード会社が実は古巣だったと言う最高の結末、彼もこのアイデアに二つ返事で乗ってくれたぜ!後は担当者がOK出すだけ、アイデア実現に向けて動き出した。
一応、彼には印税を要求しておいた(笑)アーティストにはP印税は一円の損もないからね!
完成する事を祈る。
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2012年05月11日

随分とご無沙汰してしまった・・・

楽しみにしている人は居ないと思うが2ヶ月も更新していなかったんだな。

特に何か変わったということもなく、ただ時間だけが淡々と過ぎている感じです。

更新ということで言えばTwitterとFacebookの台頭でBlogメディアはどうなんだろうか?
はっきり言ってすっかり存在を忘れていたというのが現実だからなぁ。
そんな人達はたくさん居るだろう。

と言うことで何の脈絡もない他愛の無い話で終了しちゃう感じ・・・・

おまけ。
深町純氏のDeparture In The Dark
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2012年02月28日

DOCOMOの携帯

こんな生活してても2台持ちを続けているのだが、iPhoneを使ってるとどうしても電池の減りが早いのはしょうがないとしても、せっかくの2台持ちのドコモはバックアップとしての役割を電話以外では果たしていない。

すでに3年が経過しているので替え時でもあるが何せ万年金欠状態が続いているだけにその時が来たらこうしようという案を書き記す。

現状、ドコモはパケ放題には入っていない。
プランもSS。

そこでSIMフリーのスマフォを買ってiPhoneのSIMを差していつでも使えるようにしておく(MICRO SIMが厄介なんだがアダプター用意しておけばいいか)
ドコモのAndroidスマフォはお金はかかるが全てがSIMフリーなので便利だ。
これならTwitterやFacebookも含め全てのバックアップが可能だ。
Androidのアプリも楽しめるし。

と昨日まで書いてたが、ついにソフトバンクがプラチナ帯の900MHzを獲得したとNEWSが。
こりゃ2台持ちしなくても良くなりそうだな・・・ただしバックアップとか考えると敢えての2台持ちも良いかも知れない。
というよりはAndroidとiPhoneを持つのに意味があると考えるしか無いか。
しかし通信料、通話料、本体や備品、そしてサービス全般が他社に比べて全て高いドコモは繋がるという理由とブランド力でここまで絶対的地位を築いていたのにこれで右肩下がりになるだろうな。
そしてiPhoneを取り扱いだしてiモードで得てきた通信料以外の利益も失っていくというがんじがらめだな。

ということを踏まえるてどうするかだな。
ドコモの番号は1993年から使っている筋金入りの俺の生命線、すでに19年も同じ番号を使っているのだ。
アドレスは何度か変えているけど今やSMSで全てのキャリアが横断出来るから考えなくてもいいかな。
で、今のところの有力案は
ドコモの番号を残してMNPをイオンSIMとかsonet-SIMとかe-mobileSIMにしてパケ放題を3000円以下にすれば現実的か!








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2012年01月07日

プロ野球のポスティングシステム

皆様、明けましておめでとうございます。
今年も良い年になりますように!

では表題について

西武の中島選手がポスティングシステムを行使して大リーグ入りを試みたが、敢え無く西武残留になった。

大体、このポスティングシステムは野茂の大リーグ入りをきっかけに作られた日本独自のルールで、移籍したい選手、引き留めたい球団、双方を満たす筈のルールだった。
しかし最初の頃のイチローや松井に関してはお金を掛けて落札することに魅力も有っただろうが、やはり使い物にならない選手を落札したり、そんな選手を蚊帳の外から見ていると高額落札に躊躇するのも当たり前だ。ましてや内野手については成功した選手は一人も居ないとなるとそれはそれは手を出したく無くなる。
ましてや大リーグでの実績もないのに、日本の給料を盾に高額給与を要求する傲慢さは既に破綻しているだろう。


中島選手は推定年俸2億8千万でヤンキースが提示した年俸は7500万の上に控え扱い。そりゃ日本に居たほうが得だ、その損得を超える価値を大リーグに求めるなら行けばいいし、嫌なら行かなければ良いだけ。まぁ選択できるからましだが・・・。
中島の落札金額も大したことないから西武側も致し痒しな感じか。
去年の楽天岩隈も破断だったが同じ理由。まぁケチな球団で名高いアスレチックスだからしょうがないが、楽天は今年1円にもならず岩隈を失うわけだから痛いはず。中島も来年はFAで堂々と移籍は出来る。
現在交渉中のダルビッシュ有も同じである。15億を要求しているらしいが、出来高制の契約ならまだしもいきなりは無理だろう。日本で5億なら同等でもMLB側からしたら高いと思う。松坂が怪我もなく毎年15勝してたらダルビッシュ有もお望み通りの契約が出来たと思うが。

ともかく、プロ野球はドラフトで指名されて大リーグ入りしたら帰国後2年はプロで活動出来ないとかそんなルールを作るからややこしくなる。
あとFAした時の球団への保証とか給料の現状維持とかなんか分かりにくい。

これサッカーに当て嵌めるとすんなり行くのが目に見えるのだが、MLBを含めて規約を変えるのは不可能なので無理。

結局何が言いたいかと言えば、ポスティングなんか止めてしまえと!
posted by cozy at 14:19| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

競馬会秋の陣結果。

2011秋の陣も有馬記念を持って幕を閉じた。
この会が始まって早6年が過ぎ7年目へと突入する。
実は株の会というのも同じようにあって持ち金15万円で毎週の売り買いを競うのも有ったのだが、さすがに株は毎日が勝負になるので脱落者が多数になり自然消滅になった。

ということで、一個前の日記にも書いたが俺が有馬記念をどんぴしゃで当てたので4位から一躍トップに躍り出て幕は閉じたのである。
そして今回ビリになったOさんが競馬そのものから引退を宣言し競馬会からも脱退することが報告された(大袈裟)
しかし最終ランだったブエナビスタは残念だった・・俺は2着3着でしか買わなかったが、まさかの7着と惨敗。こんな負け方をしたのは初めてだろう。ただこのあと何頭産むか知れないが伝説の馬を産んで欲しいものだ。
そして今回の有馬記念の一番のトピックは全馬がサンデーサイレンスの孫だったということだ。
だからどんなに強い馬になってもブエナビスタとは交配出来ないのである。
posted by cozy at 14:34| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2ヶ月振りのご無沙汰です。

と言う事で気がついたら最後の書き込みから早2ヶ月。
こんなに空けたのは初めてかも知れない・・・

ではこの2ヶ月何が有ったかといえば大したことは何もなく平穏な日々を送っていました。
平穏な日々というのは波乱万丈な日々が続いているということなのだがw

そんなこんなで昨日の有馬記念を見事に的中し年を越せることになりました(爆)
最後の願いを込めていつもより1500円も多く掛けたのだが、最初に考えた20点で当たってはいたわけで、逆に1500円損をしたとも考えられる。まぁ後から足した分はその殆どが外れるのが関の山とは分かってはいるのだが、もしかしたらと頭を過るものです。

そしてあと数日で2011年も終わる訳ですが、おれの大殺界はいつのなったら終わるのだろうか?
2012年は良いことがあるのだろうかと考える毎日ですが、今の世の中良い事なんて何もなく、政治や経済への憤りばかりが頭を回ります。
東京電力のアホさ加減にムカついたり、どじょう内閣の低脳にも大きく怒っております。

話変わりますが、家政婦のミタは良く出来たドラマだった。同時に始まった南極大陸も観ていたが5回目から観るのを止めた。南極大陸はあの時代に茶髪はないだろうと突っ込みを入れながら観てた、ある意味キムタクを役者として扱いきれなかった所から失敗だったわけで、JINで多用したCGも如何にもチープで60周年記念大作の名に恥ずかしい作品に成り下がってしまったな。脚本が悪すぎたのも大きな要因なんだけど。
ミタについては有り得ない設定が想像を掻き立てると言う、考える脚本が勝ったと思われる。
ただ最終回は予定調和で何となくがっかり感が有ったし、日テレの異常なまでの番宣には辟易な感じだった。
でも楽しませてもらったからいいか!

ということで又来年!

野村證券は破綻しなかったなw
posted by cozy at 14:11| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

スマートフォンでさらに沈む音楽業界

ついにauからiPhoneが発売され携帯契約数で5割を確保する陣営が有る意味appleというガラパゴスに入った。
片や音楽業界は元祖ガラパゴス携帯の着うたビジネスで似非音楽配信バブルに沸いたわけだがここ二年の落ち込みは大きく、柱になると期待されたもののCDビジネスと同じように右肩下がりになってしまった。
スマートフォンの普及は世界的な現象なので音楽業界とは関係無く広がっているのでここでの早いアプローチは絶対なのに。
しかしAppleはiTunesに於いて確固たる地位を確立しているだけで無く他の参入を許さないビジネスモデルを有る意味appleガラパゴスで囲ってしまっている。
ちょっとAndroid陣営に話を変えて見てみよう。現在着うたのビジネスモデルを継承しているのはauの一部の機種のみに限定されている。何故なら未だDRMが決まらないからで有る。auは独自のDRMを開発しなんとかLISMOを維持し、また新規参入も促している状態なのだが何せ全てのレーベルが配信を許諾しているわけではないので参入するストアも極少数になっている。
参入して来ない理由は過去にPC配信に参入し撤退して行った会社を見ているからに違いない、明らかに儲からないと感じているのだろう。そう2000年代に始まったPC配信からの流れが最も影響していると言える。まぁiTunesにはiPodがあるけどWMDにはシームレスな音楽プレーヤはないのである(主導権を握るとか何かにつけてSONYが儲かりそうとか・・・)日本の音楽業界のSONYアレルギーはみんな一緒にと言う考えを阻害する要因の一つであるから余計ややこしい。だからappleの主導は良かったのだが日本はそのappleにもSONYは抵抗したから全く足並みが揃ってないのが現状である。もちろん原盤権所有者、出版権所有者の無理難題もあるのだが。また配信側から見れば大体各レコード会社は共通のメタデータさえ持ち合わせてない上にデータの送信方法もバラバラだからそれを一々変換して自社のシステムに格納していく作業だけでも大変(iTunesはappleの納品システムに合わせて納品してる)
なのでシステム的な観点からみるとスマフォはガラ携の着うたとは関係無くPC配信のシステムが新たに必要になるので着うたでサービスを展開している大手のドワンゴやMUSIC.JPなどはコスト的に割に合わないと言う判断から参入に消極的なのであろう。だから現状まともなPC配信を行っているのはmoraしかないのも頷ける。
しかし海外では既にDRMなしの配信が支流でそのような煩わしい作業が無く進められているのが現実だ。
 
 さて問題はそれだけではない!iPhoneのアプリとして配信を行うと自動的にAppleに30%の上納金を納めなくてはならないのだ。
だからショップを開くことは利益にならないのである。そもそもレコ直への卸値が八掛けだから他の音楽配信業者も同じように卸値は八掛けと決まっている。これがまず問題。レコード会社は自分たちの利益を他に持って行かれない様に卸値を操作しているのだ。家賃や人件費が掛からないからCDより利益が少なくても良いだろうと勝手な論理で仕切り価格を決めているのだ。しかしいざ新規参入すると最低でもサイトを運営運用し音源を格納するサーバーが必要でその他保守やなんやかんやで結構お金が掛かるのが分かる。まぁ殆ど利益が生まれないのが実状だ。と言う訳で卸値を見ただけでもiPhoneでのビジネスは不可能なので有る。だからiTunesが着うたを急に始めたのはそれが理由かも知れない。但し洋楽のフルサイズの音源と値段は同じ150円だが。

では結論。
まず日本の音楽業界は今までのビジネスモデルを守るのではなく新たにビジネスモデルを構築するしかない。
著作権保持者はDRMと言う言い訳でユーザーを阻害しない。
誰にでも公平な参入が出来るような体制を整える。
レコード会社はアナログ、CD時代に時代的背景で自分たちの思うように抑えつけられなかった事をデジタル時代に仕返ししない(笑)
Android用の完璧な音楽管理・再生ソフトを作る。
それに連動できる音楽プレーヤーを作る。

こんな感じかな?


あとがき
この間CDを大量に売りに出した。
配信って売れないんだよなぁ〜1円にもならない・・・・
やっぱり俺はCDがあるかぎりCDを買うとしよう(爆)
posted by cozy at 12:15| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | MUSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする