2013年02月28日

小学校〜

記憶は曖昧。

最初に入学した小学校は港区立港南小学校。
主に俺が住んいた団地と品川埠頭に住んでいる人たちが対象の小学校なので、各学年2クラスしかない小さい小学校である。
特に首都高沿いにあること、羽田空港に近く当時は真上を離着陸の飛行機が飛ぶという日本一騒音が酷い小学校としてテレビで何度も取り上げられてた学校でもある。
まぁそのために二重窓を完備し冷暖房を備えたかなり贅沢な小学校ではあった。
校庭はアスファルトで隣に港区のグランドがあり運動会はグランドを借りていた、団地の運動会もこのグランドを使っていた。グーグルマップでみると今もある。

1、2年の担任は角田先生。先生の顔は覚えているがこの2年間はあまり記憶が無い。特にトピックスもなかったのだろう。
このころの楽しみは母親が青山まで習い事(確か編み機)があったのでそれに付いて行って習い事の時間おとなしくしているとサンダーバードのプラモデルを1個買ってくれるのだ、多分当時で100円くらいだったと思うが、これでどんだけ揃えたことか!

3,4年の担任は金子先生。毎日終礼で由紀さおりの「手紙」を歌わされた記憶が鮮明に残っている。あとは確か4年の時だが三島由紀夫の「潮騒」を読んでいて、先生に呼び出されなんでその本を読んでいるのか聞かれて、その後母親がまだ早いと先生から注意された記憶がある。父親が大手出版社勤務だったので、その手の本が沢山家にあったので内容も分からず読んでいたようだ。山口百恵がその後映画化したっけな。
この先生は色々と記憶に残る良い先生だったなぁと。いつも赤いジャージを履いていたような・・・。

4年生になった頃から2つの習い事を始めた。とは言え野球に関しては少年野球部に1年の頃から通っていたはず。それ以外の習い事に関してはなぜか拒否していた自分がいたのだが、以下の2つに関してはやってみようと思ったみたいだ。一つは水泳。水泳は上野毛にあるアメリカンスクールのプールを借りていた「わかば」というスイミングクラブ、毎週1回大井町経由で一人で通っていた。特にスパルタな感じでなく、延々と泳がされた記憶、大体7キロくらいだったか?あとはアメリカンスクールの立派な設備に感心してた。プールも50メートルプールで大きく、上からガラス張りの観覧席があったり、バスケットボール専用体育館とか、日本ではありえないスケールだったことを思い出す。同級生の小坂君も通っていたが同じ日ではなかった。小坂君は俺と同じ19号館で306号室位に住んでいたんじゃないか?でもクラスが違ったと思うんでそれほど仲が良かった様な記憶はない。

もう一つの英会話は、父親がこれからは国際社会だから英語くらいやっていた方がいいぞと言われてその気になったんだと思う(笑)新宿の厚生年金会館の裏に習いに行っていた。20人くらいのクラスで会話中心の子供クラスって感じ。まぁ何が楽しいかって、毎週水曜のに一人で品川から新宿まで電車に乗って、新宿の地下街を歩いて厚生年金まで行くのが最高に楽しかった。毎回100円のお小遣いを貰うのだが、それで中村屋の肉まんを食べるか、伊勢丹の切手売り場へ行って切手を買うか悩むのが楽しみだったのだ。この英会話1年以上通ったのだが、さっぱりだったのは言うまでもない。覚えているのはバナーナと発音することくらいか(笑)この時に男子生徒がババーナといってクラスが大爆笑したことくらい。先生の名前も覚えていないです。金髪のおばちゃんだったしwww先生が若くて金髪で青い目だったらどんだけ英語が上達してたんだろうと今は思う(嘘)

 実は最近思い出したのだが、俺のコレクター人生を決定付けた出来事があった!母親にウルトラセブンのソノシート付き本を買ってもらったのだが、その後あまり日をおかず祖母にもまた違うウルトラセブンのソノシート付き本を買ってもらったのだ、実はあんまり違いのない本であったが、決定的に違うことがあったので俺は買ってもらった。それは何かというとソノシートの色が違うのだ!「赤」と「青」こんなにはっきりと違いが分かるのだが、実は内容は同じ。母親からしてみれば赤だろうが青だろうが内容が同じなら同じものなんだけど、俺は必死に赤と青の違いを認めてもらいたかったが最後までその違いを認められず、相当怒られた記憶がある。

つづく
posted by cozy at 16:18| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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